シャトー・デ・レオー Chateau des Reaux

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概要

シャトー・デ・レオーは、15世紀にはプレシス・リドーと呼ばれ、シャルル7世とアニエス・ソレルの間に生まれた娘ジャンヌ・ド・フランスと結婚したアントワーヌ・ド・ビュエイ伯爵の館だった。
その後、火災にあって建物が荒廃してしまったところ、トゥールの初代市長シャン・ブリソンネがこの廃墟を買い取り、彼の息子ギョムが、15世紀末様式の優雅で上品な趣味をこらした城として完全な形に再建した。

 17世紀中頃、新しい城主となったゲドン・タルモン・デ・レオーが、時の国王ルイ14世の許可を得て、この城に彼自身の名である「デ・レオー」という名を与えた。 
 18世紀に城主はタブーロウ家に移り、その時現在見られる石造りの翼の部分が、ブリソンネの館につけ加えられた。

1897年に、現在の城主の曽祖父がこの城を買いとった。
 まるで、おとぎばなしの中から抜け出してきたように魅惑的なこの城には、美しい二つの塔があり、四角く高いドンジョンに守られた堀の水面に城の姿が映しだされている。
 ルネサンス様式のこの建物の外観が、大きなチェス盤のように見えるのは、事実かなり特異な構造と言る。しかし壁の表面にはめ込まれたピンク色のレンガと白い石の市松模様は、太陽光線の反射に伴って美しさを増し、この建物をユニークなものにしている。
 城は洗練された繊細さで仕上げられており、装飾や色使いは実に見事で、この城に住んだブリソンヌ家の人々は、贅沢をきわめた楽しい住まいとして、この城を造りあげたのだということがわかる。

1979年、フロランス・グーピル・ド・ブーイエという女性が、家族と共にこのシャトー・デ・レオーにやって来た。その名の如くフローレンス地方の陽気さと、ルネサンスの生き生きした精神を持つこの夫人の手によって、長い間眠り続けていた城は目覚め、数年にして中世の趣きを持った親しみやすい城に生まれ変わった。デラックスな風呂の付いた寝室も蘇り、庭もきれいに造園され、贅沢な料理が地方特産の良いワインと共に食卓にのぼるようになった。世界各地から訪れる人々を迎えるこの新しい城主は、新聞雑誌でもたちまち評判になり、称讃されている。

シャトー・デ・レオーは、見学のための一般公開はされていないが、ルネサンスに興味を持つ歴史家や建築家の間では大変高く評価されており、写真や記事などでも多く紹介されている。暖炉の上にあるフランソワ一世のレリーフなどに特によく表われているように、この城は、16世紀初頭に発展したフランス、ルネサンスの純粋な表現が見られる良い典型である。

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